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新大久保文化通り診療所

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コラム:気になるおなかの話

誤診

2019.7

私は学生の頃から内科診断学が好きで、当時定番であった吉利和の内科診断学の教科書などをよく読んでいたものです。確かその中にもあった、冲中重雄教授の誤診率の話が当時有名でした。冲中先生は、44歳で東京大学第3内科の教授となり、神経内科の確立、老年病学講座の開設、虎の門病院設立にも大きく関わり、病院長も務めた人です。その先生が教授退官時の最終講義で教授在任中の誤診率が14.2%であったと発表したとされています。その時の詳細は、「私の履歴書」という文章の中で本人によって語られていますので、その内容を簡単にまとめてみます。

昭和38年3月4日の最終講義(教授になってから824回目の講義)。テーマは「内科臨床と剖検による批判」で、その中で「私の教授在任中の誤診率は14.2%である」と発表しました。当時大きな反響があったようで、ある雑誌には「われわれ患者はその率の高いのに驚いたが、一般の医師はその低いのに感嘆した」とあったとのこと。その誤診率の出し方は、臨床診断と病理解剖(剖検)による診断との比較で出されました。対象となった期間は、教授在任中の16年間(昭和21年12月-37年12月)で、内訳は入院患者総数8512人、死亡1044人(約12%)。剖検数900、非剖検数144で剖検率86.2%とすごいレベルでした。剖検例900のうち、正確なデータのとれる750を対象に、年度別、疾患別などの誤診率をはじき出したとあります。

誤診の判定基準として3項目を設けています。第一は臓器の診断を間違ったもの。第二は臓器の診断は正しいが、病変の種類を誤ったもの。たとえば肝硬変と診断したが、剖検では肝に小さいガン性の病変が伴っていたり、普通の慢性腎炎としたところが、実際は慢性腎盂腎炎だったなど。第三はガンに関するもので、診断と死因の剖検所見は一致するが、原発巣は別のところであった場合や、肝臓ガンと診断し、剖検による死因も肝臓ガンであったが、原発は胃ガンで、肝臓に転移してそれが死因となったものも誤診に含めたとあります。

いわゆる「CTスキャナー(ビートルズの最も偉大な遺産ともいわれる)」が日本の臨床現場に導入されたのは、1975年(昭和50年)8月に東京女子医科大学病院に設置されて脳腫瘍を捉えたのが始まりとされますので、冲中内科時代はCTやMRIは理論すらもまだなく、超音波や内視鏡もまだ黎明期で実用化以前の時代によく診断ができたものだと思います。私が医者となった頃は、すでにCTはありましたが、まだ大きな病院にしか無くて、その解像度も今とは比べものにならないものでした。性能はかなり悪いながらも腹部超音波検査や内視鏡検査もありましたから画像診断があっても診断に苦労したことを思うと、それらのモダリティが無かった時代にどうやって診断していたのか不思議でもあります。

最近は画像診断が高度に進歩し、臨床診断と剖検診断との乖離はかなり少なくなってきてはいますが、いろいろな理由で生前の検査や検討が不十分であった場合だけではなく、様々な検討をしても診断がつかない難しい症例もいまだに少なからず存在します。しかし、臨床側、病理側、社会的な理由などで剖検される症例は減少してきており、その結果剖検率の低下をきたしています。臨床研修病院や日本内科学会認定医制度教育病院などの認定基準にも剖検率は入っているので、最近は剖検症例の確保に苦労する事態にもなっており、教育の面からも問題となっています。

死因の究明という極端の意味での誤診というほどではなくても、日常診療においても最短距離で正しい診断に至ることはそう容易なことではありません。詳細な病歴の聴取、適正な検査、想像を豊かにした鑑別診断、それを裏づける知識を得るための勉強など、いろいろな試行錯誤を繰り返し少しずつ成長していくしかないのが医学の王道で、楽な近道などは無いのです。一般に教授退官時の最終講義というのは、自らのライフワークなど専門分野での業績をテーマに話すものですが、自らの臨床医としての成績をデータとして明らかにしてあえて最終講義に公表した冲中先生の心意気を、我々臨床医は少なくも現役の間は忘れてならないものだと思います。